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東京高等裁判所 平成8年(行コ)127号 判決 1998年1月28日

控訴人

地方公務員災害補償基金千葉県支部長沼田武

右訴訟代理人弁護士

橋本勇

滝田裕

被控訴人

平賀英雄

右訴訟代理人弁護士

田村徹

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

一  控訴人は、原判決取消しとともに被控訴人の請求棄却の判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

二  事案の概要は、原判決三頁(本誌本号<以下同じ>84頁4段8行目)から一三頁(86頁2段28行目)にかけての「第二 事案の概要」に示されているとおりである。

三  当裁判所も、被控訴人の請求は理由があると判断する。その理由は以下に示すとおりである。

1  前提事実は、原判決二二頁一行目(87頁3段25行目)の「四日付けで」の次に「<証拠略>」を加えるほか、原判決一四頁一行目(86頁2段30行目)から二二頁七行目(87頁4段4行目)にかけて示されているとおりである。

2  訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りる。この理は、公務起因性の判断における因果関係の認定においても同様である(最高裁平成五年(行ツ)第八五号平成九年一一月二八日第三小法廷判決・裁判所時報一二〇八号三頁)。

これを本件についてみるに、(証拠略)によれば、被控訴人は本件傷害当時、第五腰椎分離症を発症していたことが認められる。腰椎分離症によりその部分に負担がかかっていて、これも本件傷害の一因となっていることは否定できないが、この症状は軽いものである(<証拠略>)。他方、本件傷害が本件公務時に招来したものであることは右認定のとおりであって、右にみた因果関係の立証程度に関する法理からすると、本件公務の作業が直接かつ有力な原因になって本件傷害が引き起こされたことは否定できず、以下に示すとおり、本件公務の遂行と本件傷害の発生との間に因果関係があり、本件公務の遂行が本件傷害(腰部捻挫)の主要な原因となったものであることは明らかである。(証拠略)によってもこの点を左右することはできない。

すなわち、ごみ収集作業、特に生活系のごみ収集作業における動作の多くは腰を頻繁に使うものであること、個々の作業自体過重なものでないにしろ、道路上に置かれたごみ入袋をつかむために腰を曲げた後直ちに、収集車に投げ込むために腰を上げるという行為を頻繁にかつ素早く繰り返す作業が主たるものであり(<証拠略>)、他の一般的労働に比して不自然な姿勢で、しかも瞬発的かつ不定形な作業を強いられることもあって、腰痛を生じさせる危険性が十分にあることは経験則上明らかである(日常生活上行われる行動にこれと同様のものがあるとしても、その頻度、反復継続性において通常人の日常生活と大きな差があり、これに従事する労働者が腰部捻挫の引き金となるような異常な動作、姿勢をとる蓋然性は高い。)。なお、船橋市清掃センターにおける労働安全衛生委員会作成の「腰痛白書」と題する文書(<証拠略>)によれば、平成五年秋に実施されたごみ収集作業員一二八人に対するアンケート調査において、約五六パーセントの者が腰痛を訴えており、当時及びそれまでに腰痛を経験した者の約五三パーセントの者がその原因を仕事と考えていると答えていることが認められる。清掃事業における公務災害防止に関する研究会作成の平成九年三月の報告書(<証拠略>)によっても、地方公務員災害補償基金の委託を受けてされた主要地方自治体の清掃事業担当部局に対するアンケート結果において、ごみの収集等における公務災害として腰痛症を挙げている団体が二六パーセントあり、ごみ積込み時に腰をぎっくりさせる点を挙げた団体が四四パーセントあったことが認められる。

3  本件傷害は、正に、被控訴人がごみ収集車のごみ投入口にごみ入袋を投げ入れようとしたときに、災害性原因によるものとして発生したものである。被控訴人が第五腰椎分離症に罹患していたことをもって直接的な原因と認定すべき明確な証拠はない。本件の公務災害の有無は、右認定判示によれば、本件傷害がごみ収集作業中に発生したか否かによってほぼ決定されるのであり、平成三年一二月四日付けの裁決でもこの事実自体は肯定されている。

ただし、被控訴人自身、現時点でどのような作業をした際に本件傷害が発生したのか明確には覚えておらず、この点についての初期段階での資料作成等の手続の不備が、本件の公務災害性に関する争いを深刻なものとした大きな要因であるというべきである。このことは、本件公務災害認定申請手続での書類作成が本件傷害後二週間以上も経過してされるなど(<証拠略>)控訴人ないし関連機関の事務手続が迅速かつ適切に行われていないことに起因しており、本件傷害のような公務時に発生した災害性の腰痛に関しては傷害発生後直ちに同僚及び上司に告知報告し、可及的速やかに所定の医師の診断を受けるなどして(弁論の全趣旨によれば、被控訴人は本件傷害発生日に東町事業所の保健室で湿布などの手当を受けたことが認められるが、その際に適切な診断書などの資料が作成された形跡はない。)事故態様及びこれによる災害に関する証拠保全に努めること、更にはそのような処理が慣行として円滑に行われることの環境策定が望まれる。

4  本件については、本件公務の最中に本件傷害が発生した以上(裁決でも肯定されている事実である。)、本件公務の遂行の際これに起因して異常な力が突発的に働いたこと(災害)によると認めるべきであり(これが被控訴人の不用意な動作によったか否かを問わない。)、第五腰椎分離症が原因の一つとなったことを明確に否定できないにしても、少なくとも本件公務がこれを著しく増悪させて本件傷害に至ったものと認めるのが自然であり、本件公務と本件傷害との間に相当因果関係を認めるべきことは明らかである。

四  本件控訴は理由がなく、主文のとおり判決する。

(平成九年一一月二五日口頭弁論終結)

(裁判長裁判官 稲葉威雄 裁判官 大藤敏 裁判官 塩月秀平)

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